約束までの時間を有意義に過ごすための独り談話室

離婚されるそうなので一人暮らし準備の為の心構えと今までの回想録(メモワール)

連帯責任を強いるのは3流コメンテーターだから

ワタシはTVを持っていない。

モラハラDV夫から離れるべく、別居を敢行したときから、TVは我が家にはない。

と言うか元々TVをほとんど見ないので、何の不便もないし未だにワタシの必需品のなかには入っていない。

そんな生活で頼りにしているのが、基本PCだったりスマホだったりする。

ネットさえ繋がればニュースをもとに世間の動向はわかるので、もっぱらネットニュースしか見ない。Yahooや東洋経済オンライン、プレジデント、BBC,Der Spiegel、ロイターやCNNで十分だから。(時々趣味で「ロシア・ビヨンド」という面白いサイトを覗く程度)

 

そのネットニュースの中でやたらと盛り上がる、ピエール瀧のコカイン使用による逮捕から派生している石野卓球に対する「謝罪しなきゃコール」が、本当にウザい。

朝やお昼の奥様番組(私も一応まだ奥様だが未だにこんな番組が存在しているあたり、既に寒い)でご自分自身もそこまで清廉潔白なお方なのかが不明なタレント司会者が、瀧の相方である卓球に対して、意味不明で挑発的なツイートしてないで社会人としてきちんと謝罪すべき、というマトモに聞こえるような理不尽さで、電波を使いどうでもいい正論を振りかざしているようだ。

ツイートはあくまで個人的なつぶやきなんだから、(芸能人は「公人」扱いするらしいけど、それもまた微妙だ)何を発しても自身の責任だから周りがとやかく言うものではない。

以前からこういう状況になった際には当然のように事件の当時者やその仲間、家族、周囲の人間に対応を求めるという雰囲気が気になっていたけど、

瀧と卓球は仕事仲間で旧友なんだから(?)、瀧が逮捕されたら卓球が神妙な面持ちで謝罪もしくは釈明会見をすべき、みたいな茶番は本当に日本国民が見たいものなのだろうか?(その絵が脳内再生出来な過ぎて、一人でウケた!)

 

石野卓球のキャラクターをご存知の方ならそんな事をする人間ではないことぐらい、みんなが知ってるし、そもそもその必要はない。何故なら事件を起こした当事者ではないから。

卓球に対する「コイツも同罪なんじゃないのかい?」という知りたがりで人の堕落や歪んだものを楽しむ所は、人間には必ずあることは否定しないが、逮捕されるまでは一般市民だ。彼には今のところ何の罪もない。いい加減一つの話題であることないことネタの地下水が枯れるまで掘り下げて、憶測の域を出ない、長テーブル囲んで「謝罪したほうが良いと思う」なぞと言った角が立たなきゃ役にも立たない、なに一つ響かないコメント吐かれると、

「ああ、日本は今日も平和だわな」

 

と、安堵すると同時に心底バカバカしくなる。

 

パートナーやその家族が謝罪や釈明すれば、当事者は今より良い状況に置かれるのか?

クスリから抜け出す事が出来るのか?

クスリを喫るのは本人の問題や選択であって、周囲の人間の責任ではない。

あくまで本人がやりたいから、そうしたのだ。

未成年がやらかしたら、その保護者である者には責任があるかも知れないが、

いい大人が自分の判断でやったことを何故別の人間にまで責任をおっかぶせる必要がある?

連帯責任は一見すると、美しい行為に見えるかも知れない。

責任は当事者を形成している周囲にもあるよ、それが皆平等でいいことなんだよ。

と言われている気がして、気持ちが悪い。

責任の所在を攻め立てる気はナイけど、その原因を探ろうとすると生暖かい手をそっと肩に置かれるみたいで気分が悪いのだ。

真実には目をそむけ、表面的なところだけをスキャンダラスに皮むきしてドス黒く変色した果実をお綺麗な(だが安物とひと目で判る)言葉の皿で盛り付けてサーヴしてくださる、自称公明正大なTVコメンテーターシェフだ。

 

そこまで言うなら、圧倒的に検挙率の高い芸能人やらミュージシャンの皆様は、定期的にドーピング検査でも義務付ければいいんでないのかね?

オリンピック選手はあるんだから、

スタッフやスポンサーに迷惑がかかるという点では、スポーツ選手、オリンピック選手と同じだよね?

やらないのは、どうしてかね?

それこそTVで討論して欲しいよ。

痛くない腹を探られるのはイヤだろうけど、

痛くない腹なら、別に探られても大丈夫だよね?

 

それとも本当は、探られたくない腹なのかね?

 

なにか一人が不祥事起こすとその周りの人間にも責任をスライドさせようとするの、

なんか軍隊みたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

マニピュレータ―が育まれた家庭

夫は他人を支配し、自分の利益を生み出す狡猾なマニピュレータ―というタイプのモラハラ男だ。

ターゲットになる人間は、夫を基本良い人だと思っている。

その人間の良し悪しはともかく、まわりからその人間を孤立させる嘘を広めたり、その人の手柄を横取りしたり、失敗をなにより大袈裟に取り上げ、(そして喜ぶ)さも自分がフォローしましたよ、もうこれで大丈夫!という雰囲気に持っていく「天才」だ。

そうして徐々に、ターゲットの周りから信頼や関心、理解などを薄皮を剥いていくように取り除き、あとにはターゲット本人の異常に低い自己肯定感とマニピュレータへの歪な共存意識が残されてしまう。

 

夫の家族が遊びに来た時は、夫は必ず甲斐甲斐しく世話を焼いた。

お茶を淹れ、お菓子を出し、昼食後の茶碗を洗う。それを明らかに誇らしげに見ている母親。しかし、なにか変だ。

夫は全然話に入らないし、話も振らない。

そう思っていると、突然嫌味な微笑みとともに、こう切り出す。

「うちの奥さん、座ってばかりで何もしないから結局オレ、全然喋れないよね」

義理父は笑い(何がオカシイのか分からない。)、義理母は困ったように微笑み、こう言うのだ。

「●●(夫の名前)は気が効きすぎてしまうんだよね」

 

予定調和な展開過ぎて、彼らの訪問もこちらから行くのも本当に嫌だった。

 

 

義理父は、物心がつく前に父親を亡くした為、義理母と結婚する際こう言ったそうだ。

「俺は父親というものがどういうものか分からないから、自分で思う父親になる」

8人兄弟の末子だったため、母親代わりの姉と父代わりの叔父や兄に育てられたそうだ。不思議なことに懸命に働き生計をたててきたであろう母親に対する感謝の言葉はほとんどない。

(切れやすくて、自分に対する批難は受け付けない自己中心的な性格。でも明るくて社交的よ。)

義理の叔母は、結婚前にワタシとの雑談で、義理父をこう称した。

 

義理母は出来の良い女性だ。料理も掃除も手を抜かない。仕事は夫が物心つくとすぐに始めた。持ち家も彼女の助言で購入、端からみるとなんの問題もない。

だが今回、別居に至るまでの道程であることが分かった。

同居している兄嫁が、ワタシの言い分を信じてくれたので女同士でキチンと話を固めてから、ワタシの夫に対して事実を認めてもらい、謝罪してもらった上で今後の話をしていこう、という時に義理母の「問題点」が浮かび上がってきたのだ。

ワタシタチと話す時は、ワタシの話を真剣に受け止めて聞いてくれ、時には泣き、時には夫を否定する厳しい怒りも見せ、

「じゃあ今度の話し合いでは、ここを重点的にやろう」とまで言い出し、非常に頼もしく、ワタシはとてもホッとした。

しかし、実際義理父や夫が話に加わると、義理母は勢いが止まり、義理父の意見や息子である夫の「イエスマン」に早変わりしたのだ。

兄嫁も驚き、「お母さん、さっきこう言ってたじゃない?リンカちゃんのされてきた事考えたら、夫君は謝るべきって言ってたよね?!何で?」

と猛反発したが、義理母は所在ない顔付きで、

「んー・・・確かに●●(夫)もダメだけど・・・リンカちゃんももう少し優しく出来ないかねえ・・・。だって・・・男の人にはやっぱり、そういう言葉も必要だと思うのよ・・・」

と結果として、ワタシの思いやりが足りない→ワタシの妻としての努力不足→夫が疲れる→男は家庭に疲れると浮気する→つまりワタシのせい

という恐ろしい理屈大前提で話がすすむ為、ワタシはもうその茶番を下りた。

 

義理兄は、自分の両親が何故ここまで弟の肩を持つのか、本当に疑問だという。

(それは夫がマニピュレータ―という人格で、ワタシを標的にして何十年も自分の親に対してワタシへのダメなイメージの「刷り込み」を重ねてきたからだよ。

でも義理両親はやっぱり自分たちもそういうタイプの人間関係に疑問を持たないから、どうしても夫の言い分のほうが耳に入ってきやすいのだと思う。)

と説明した。

義理姉は、

「お父さんもホントそういうとこあるよね?お母さんに対してよくキレるけど、

お母さんはそういうお父さんを批判しなかったの?」と聞くと、

義理兄は

「そういえばお袋からそういう言葉聞いたことないな」

 

否定も肯定もしないなら、それが「問題のある行動」だとは誰も認識しないよね。

そういう環境で、当たり前にように配偶者をなじり、無視してきた父親を、

夫は結婚前にはこう言っていたのだ。

「うちの親父はワガママだから。別にまともに話なんか聞かなくていいよ」

 

しかし、結婚してだいぶ経った今、夫の味方はそのワガママ親父だ。

人間はどうしても、そういう連鎖から抜けきれないのか。

 

父性を体感出来ていない、自己中心的な父親と

その夫に追従するだけの、人によって態度が変わる母親(自己愛の塊ともとれる)に

幼少期は多忙という理由で放置され、一方で大人になるにつれすべての言動を肯定されてきた夫。

 

今まで何冊もモラハラやマニピュレータ―関連の本を読み、サイトも調べ、自分なりに夫を理解しようと試みた結果、それは無駄な努力だと分かった。

調べれば調べるほど、モラハラ人間が生まれた背景には、何故かこの組み合わせの両親が存在していることが多々あることに気づき、諦めた。

 

夫は、なるべくしてモラハラになったのだ。

 

 

夜中まで開けて欲しいのは、コンビニじゃなくて図書館

どんより曇り空だけど、

一向に気にならないどころかワタシはむしろ曇り空が好きだ。

なんだか曇っている日は洗濯も掃除もまあほどほどでいいよ、と言われている(誰にだ)気になるし、まわりがボンヤリ薄暗いと読書や絵を描くことがはかどる気分になるからだ。

 

で、読みたい本を他の人のレビューなど参考にしながら、保存しておいた記事から抜き出して即Amazonで・・・という訳はなく、経済的理由によりもっぱら市立図書館の貸出を利用する。

昔の図書館は決まりきった本しか置いてなかったが、最近は図書館も色々考えているらしく様々なジャンルを取り揃えている。

 

半年前に姉と母がハマっていた、国鉄総裁の誘拐殺人事件(ネットでは「触れてはいけない」と取り沙汰される戦後の代表的ミステリーだ)についての本を何冊かと、ドイツ民話の本を借りたが、そのうちの一冊は隣の市からの貸出で連携もとれているのがスゴイ。

森鴎外の長女で小説家(本人は自身を「文学者」と称していたらしいケド)の森茉莉の全集も図書館で借りたが、一度読んで「買わなくてヨカッタ・・・」と思ったので、こういう時には図書館の存在が本当に有り難い。

(付け足しておくと小説家としての森茉莉は、好き嫌いが分かれる元祖BL作家といっていいくらい、耽美と官能?の美少年、美青年しか出てこない退屈な小説だ。彼女は絶対にエッセイの方が面白い。天然お嬢様ぶりのオバアサン作家のキテレツな言動が読んでいて真面目にオモシロイ。)

 

普段買うのはなかなか無理な分厚い本も、図書館なら2週間の猶予で気軽に借りられる。取りに行くのは近所にある分館を指定しておけばOKなのも、嬉しい。

そうこうするうちに、自分の生活ペース的には、図書館が夜も開いていたらいいなあ、と思った。基本的に読書は日中よりも夜の方がひたれるし、時間もとれる。

夜の図書館なんて、なんか夜の学校並に違和感ハンパない気もするが、個人的には開いていたら使ってみたい。

(安全面とか行政サービスだから限度があるのだろうけど、民営になれば問題なく利用できそう)

もしかしたらネットカフェ難民の人たちや、夜に徘徊して犯罪に巻き込まれる若者を引き止める事も可能なのでは・・・?

 

と思いながら、こんな田舎(一応一都三県のなかのひとつだけど)の町でそんなサービス不要でしょ!と理性的な自分が頭のなかでたしなめるのだけど、

夜遅くまで開いてるゲーセンやパチンコ屋に比べたら、こっちのほうが全然マシ。

談話室設けたり、勉強部屋を開放したり、PC使えたり、セルフカフェがあったり、そういうサービスが逆になんでないのか不思議だ。

 

宝くじ3億円くらいあったら、自分で造りたいくらいだな。

猫も配置、クッションとソファも配置、眠くなったら寝ちゃってもOK。

・・・という妄想をしていたいのだ。

 

(ここまで書いてみて検索かけたら結構夜やってる図書館もあるにはある。

渋谷駅付近にも会員登録制の私設図書館がある。

だけど基本それは都内で会員料もかかる。

この田舎には便利、というかホッとできる空間としての図書館がないのが寂しい、というオバサンの戯言になってしまった)