北総ロザリオ文芸部

タイトル一新です。離婚(予定)後の自由満喫と今までの回想録(メモワール)

3.11を知らないワタシへ

もう8年前の事だなんて。

当たり前の生活が当たり前ではなくなったその瞬間、

ワタシは日本にはいなかった。

 

BBCはいち早く、と言うか日本よりも早く原発での事故を映像とともに伝えた。

「日本では報道規制がされている」

「このシリアスな災害を国民に知らせるべきだ」

キャスターや新聞の見出しが、国の対応を批判していた。

驚くことに日本ではメルトダウンの報道が英国よりも後にされていたことだ。

まさか自分の祖国が、北朝鮮文革時代の中国のように、報道規制をするような国だとは思ってもいなかったので、ひたすらショックだった。

 

BBCのサイトやyoutubeでひっきりなしに流れる悲惨極まる映像が、

自分の国の出来事だとは思えず、恐ろしく、ただ呆然としていた。

メールで日本の家族の安否確認をしながら、怖くて手が震えていた事くらいしか思い出せない。

 

それまでの生活が一変してしまう絶望感は、当事者でなければ知りえない。

見飽きた町の景色、買い物をするスーパー、家族や友人との他愛ない会話、いつもの帰り道。

あって当然だったもの、居て当たり前の人々が災害に見舞われるという足元が崩れるほどの哀しみや苦しみを、

ワタシは今でも自分の中で受け止めきれずにいる。

日本にいなかったから、どこまでの大変さだったのか実感がない。

スーパーやコンビニから商品が消えるなんて想像も出来ない。

7時間も歩いて橋を何本も渡り帰宅した人たちを見ていない。

計画停電の不便さもわからない。

余震の恐怖も、マスクをする人たちも。

 

ボンヤリと、裏庭から外に出ると近所の黒人女性が心配そうな面持ちで話しかけてきた。

「日本の家族は無事?そう、よかった! 日本はきっと大丈夫よ、私も祈ってる。」

中東系の雑貨でも、

「日本の災害はひどいね。心が痛むよ。でも世界中が君たちの味方だ。」

 

知っている近所の人からバスで隣り合わせたまったく知らない人までが、

日本の事を気遣ってくれたことだけは鮮明に憶えてる。

 

その日、絶望した人たちの心の隙間はきっと長く埋まらない。

だけど、被災もしていないワタシにまで、異国の人々はあたたかい言葉と思いやりをもって接してくれた事が、ワタシの中では小さな花のようにいつまでも咲いているのが救いでもある。

 

地震津波も、自然の中で生きている以上どうしても避けられない国に住んでいるのだから、誰を恨む事も出来ない。

100%の予測は不可能だろう。

でも原発は自分たちで放棄出来ると思う。

日本の電力は過剰ではないか?ラスヴェガスのように夜中にこうこうと電気のきらめく町は必要なのか?

24時間のコンビニやスーパーは本当に必要なのか?

(ドイツでは夜の町は基本灯りが少ないです。夜は寝すむもので明るい必要がないからです。日曜日はスーパーマーケットが休みです。地域別に順番で開ける以外、基本休みです。それでも生活にはまったく困りません。)

自然災害はある意味どうしようもないし、突発的なものはどうする事も出来ない。

でも原発はそろそろ手放す頃ではないのかな、と思う。

人間に核を管理するほどの能力があるとは思えない。

と言うか、管理しようなどと思ってはいけない。

そんなことはまるで小さな鳥かごの中で虎を飼おうとしているようで、

あまりに無謀だからだ。

 

どうしても原発を造りたい、原発を稼働させたいっておっしゃるならば、

ぜひ東京のど真ん中に原発でもなんでも造ればいいんじゃない?

 

出来ないよね。自分たちの身は大事だもんね。

でも田舎やそこの土地の人はどうでもいいんだよね。

どれだけの犠牲を払えば、ちゃんとした国になるのかな。

唯一の被爆国が、一番やってはいけないエネルギー供給をしているなんて、

皮肉にも程がある。