北総ロザリオ文芸部

タイトル一新です。離婚(予定)後の自由満喫と今までの回想録(メモワール)

一人、陰ながら

義母が息を引き取ったそうだ。

連休中の、おそらくはおとといの夜中だ。

 

昨日になってから、バカ夫からメールが来た。

 

でも、実は分かっていた。

 

おとといの夜中(2時過ぎだった)、一度だけインターフォンが鳴った。

物理的に本当に誰かが押したかどうかはわからない。

その瞬間、ワタシは「お義母さん?」と思ったのは、インターフォンのすぐ後にお義母さんの声でワタシの名前が呼ばれた気がしたから。

 

 

そこから朝まで、涙が出てよく眠れなかったけれど、

不思議と怖くはなかった。

この不肖の嫁に対しての怒りや嘆きはを持っていたはずなのに、

ワタシを呼んだ声は優しかった。

 

若い頃は色んな事があり、

なかなか受け入れられている感がなく、

とまどいも哀しみもあり、

私達は心底自分をさらけ出して話すことなぞ、なかった。

 

お義母さんは、いうなればモラハラ夫に服従することですべてを丸く収めてきた非常に出来の良い人で、

お義父さんやそのバカ息子である夫にとっては

「理想の妻」であり「理想の母」であった。

 

でもワタシは違う、全然別の愚かな人間で、

家庭内でのいわれのない言葉の暴力や威圧、嫌がらせに対して、

「子供がいるから」「経済的不安があるから」などの理由で

やり過ごすなんて行儀の良い真似は出来なかった。

 

お義母さんの生き方は、それでそれでとても素晴らしいし、

まさに嫁の鑑と、尊敬もしていた。

 

だけど、自分の保身のため、ひいては息子の保身のために、自分の意見で、自分で善悪を選び取るという力を敢えて出さずに、ひたすらお義父さんの後ろからモラハラ親子が喜びそうな事だけを言うその姿には、ワタシは将来の自分の幻影を見せつけられている気がして、心底辛かった。

 

ワタシのように離婚をチョイスすることが正しい、と言うつもりはない。

いいようにあしらいながら、日常をやり過ごすご夫婦はゴマンといる。

 

表面上の体裁が整えられるだけで満足な関係ならば、それはそれで構わないし、人がどうこう口出す問題ではない。

 

でも、その家庭内で誰かが、もしくは全員が同じ家族内の誰かからの圧力に我慢を強いられている事で成り立つような家族ならば、そんなものは人生においてなんの意味があるのだろうか。

一度きりの人生で、ワタシはそんな家族を作りたかったわけではない。

 

ワタシを「不要」と言い切る夫をいつでも、

「いつもあの子の言うことは正しいのよ」「優しい子だから」と言い続け、本質に目をそむけ続けたお義母さんの、

アイシングのたっぷりかかった、ケーキとクリームのような愛情の海に溺れながらその裏で周囲の人間を欺き、傷つけた夫への思いは、

到底ワタシのような悪意ある部外者には理解出来ず、

 

(ワタシがお義母さんの立場なら、どうしただろうか?)

 

と、もはやすでに答えの出ている無意味な問いかけとともに、

今はただ、懸命に生きた一人の女性の生涯を、静かに讃えたい。